教養を「どうする」? ~生活文化という思想から考える~

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近ごろ、文化資本という言葉をちらほらと耳にするようになりました。ピエール・ブルデューというフランスの社会学者が使い始めた言葉で、「資本として機能するものの中で、蓄積することで所有者に権力や社会的地位を与える文化的教養に類するもの」という意味だそうです。簡単に言い直せば、いわゆる教養のある家庭で育った子は頭がよくなる、といったところでしょうか。親の教養(それは親の能力かもしれませんし、または家にあるモノかもしれません)は子どもに伝わるから、ちゃんと持ちましょう…、と。

しかし、この考え方には何か大切な観点が抜け落ちてしまっているように思います。それは、「教養を持てばそれでよいのか!?」という点です。このコラムでは、文化資本や教養といったものに対して私たちはどう向き合っていくべきか、またそれらと学習支援との関わりについて書いてみたいと思います。

 

 

「飾り物のピアノ」と教養の問題

 

文化資本や教養の問題を考える一つの手掛かりとして、「飾り物のピアノ」の例を取り上げてみます。ホコリをかぶって静かに眠っているピアノ、どこかで見たことあるのではないでしょうか?なぜそのようなことになってしまっているのか、日本におけるピアノの歴史を少し紐解いて見ましょう。

日本にピアノがやってきた時期として、2つの大きなブームがあったとされています。それは大正時代高度経済成長期にあたります。

前者の時代においては、西洋文化を積極的に取りいれようとする流れがある一方、当時の人たちにとってピアノはかなり高価なものでありました。そのため上流階級の人しか所有できず、一般市民にとっては欲しくても手が届かないようなものだったそうです。

そして後者の高度経済成長期においては、三種の神器のうちにこそ入らないものの、豊かさの象徴として急速に一般市民の手に広がっていきました。昔からの憧れだったピアノがついに手に入ったというわけです。

このように見てみると、その両者に共通することとして、より高度な文化資本や教養を文化的財として所有することこそが生活の豊かさを体現すると考えられていた、ということが挙げられるのではないでしょうか。

しかしここで一つ大きな問題が生じます。それは、ピアノを手に入れる目的が「所有」することのみにあれば、その後使われることなくホコリをかぶってしまっても致し方なくなってしまう、ということです。それではその他多くの贅沢品と同様、手に入れた時の感動はどこへやら…、となってしまいかねません。つまり、お金をかけて文化資本や教養を手に入れても、必ずしも生活が豊かになるとは限らないということがここから分かるのではないでしょうか。

さて、このあたりで本題に戻りましょう。所有することだけで足りないのであれば、教養を「どうする」ことができるのでしょうか?

 

 

文化生活か、生活文化か

 

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ここで紹介したいのが、「生活文化」という思想です。

皆さんはこの言葉を見てどのようなことを思い浮かべるでしょうか?おそらく、贅沢品に囲まれた文化的な生活とはちょっと違うものをイメージされるのではないでしょうか。

日本において最初にこの言葉を思想として扱ったのは、三木清(1897-1945)という哲学者でした。彼は『生活文化と生活技術』(1941)という戦時下で執筆した論文の中で、文化生活と生活文化との決定的な違い、また生活文化を重視する意義を説いています。

彼の云わんとしたことは要するに次のようなことです。

既に出来上がった教養を外から手に入れ所有する生活が「文化生活」であるならば、生活者自身が生活の内にある文化的な価値を高めていくあり方が「生活文化」である。そして厳しい生活下に置かれているからこそ、後者の立場に立ち、全ての人が生活文化を生み出す芸術家として日々の生活を楽しみ愛するべきだ、と。

最近で言うならば、流行りのDIY(Do It Yourself)といった考え方がその系譜にあるといえるでしょう。

教養はただ手に入れる、与えられるだけのものではなく、自らが文化の担い手として「生み出す」こともできる。生活文化の思想は、忘れがちなこのような事実を、常に私たちに問い直してくれる役割を果たしています。

 

 

教養をどう支援するか?

 

ここまで、飾り物のピアノの事例と生活文化の思想を手掛かりとしながら、文化資本や教養といったものとどう向き合うべきかを考えてきました。ここで最後に、それらが学習支援とどのように関係するのかについて少しばかり触れておきたいと思います。

近年、「子どもの貧困」や「相対的貧困」等をキーワードとして、学習支援を含めた様々な支援体制が急速に構築されてきました。そこではもちろん「貧困の解消」が目的として掲げられ、それを目指して物的資源や人的サービスという形での支援が届けられることになります。

ところで、生活文化の思想は文化資本や教養の「所有する」という側面とは別に、「(その人自身が文化を)生み出す」という側面を照らしだしました。また子ども一人ひとりが自身の力で生活文化を生み出す、すなわち工夫して身の回りの環境を住みよくしていくという過程は、近年よく言われるところの問題解決能力にも繋がるものであるように思われます。

そういったことを鑑みると、文化資本という観点で支援を行う際、ただ「子どもにとって必要だろうから提供する」というあり方が本当に子どものためになるのかどうかが疑問となるのではないでしょうか

支援の目的を、文化資本や教養を「持つ」ことに置くのか、はたまた「生み出す」ことに置くのか、この違いは大きいように思われてなりません。

 

 

<参考文献リスト>

ブルデュー・パスロン(1991)『再生産[教育・社会・文化]』 宮島喬訳, 藤原書店. https://goo.gl/1wmVC1

本間千尋(2012)「日本におけるピアノ文化の普及:高度経済成長期の大衆化を中心として」慶應義塾大学大学院社会学研究科紀要. https://goo.gl/AG9J5J

三木清(2017)  『三木清教養論集』大澤聡編, 講談社文芸文庫. https://goo.gl/M7CdfG

三木清(1967)『三木清全集 第14巻』岩波書店. https://goo.gl/z5q7d

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