自己責任論と子どもの貧困

 「子どもの貧困」という言葉を耳にすることが増えてきましたね。子どもの貧困に関する報道が活発に行われたのは2014年から2016年にかけてでしたが、学術分野はもう少し早くから子どもの貧困に関心を寄せていました。例えば経済開発協力機構(以下OECD)は所得格差の拡大を取り扱った『Growing Unequal? Income Distribution and Poverty in OECD Countries』を2008年に公表(書籍化は翌2009年)しましたし、日本では阿部彩氏が『子どもの貧困―日本の不公平を考える』をOECDと同じ2008年に出版しました。

 子どもの貧困に対する現在の関心の高さを考えると、アカデミズムによる告発と社会問題化との間に6年から8年のブランクがあることには違和感を覚えてしまいます。今回のコラムではこの違和感を解き明かす鍵として自己責任論を設定し、日本の貧困議論を妨げてきた自己責任論を整理します。次に貧困のなかでも子どもの貧困に焦点を絞って、子どもの貧困への関心が高まった理由について考えてみます。

 

 

自己責任論とは何か?

 

 貧困が議論に上がると、必ず耳にするのは自己責任という言葉です。「貧困になったのは努力をしなかったその人の責任によるもので、そのような怠け者に税金を投入するのは無駄だ」という主張は多くの人が聞いたことはあるのではないでしょうか。この主張はもっともらしく写りますし、何よりわかりやすいレトリックです。事実、日本人の約25%が「貧困は努力が足りないからだ」と考えていることが2006年の対日経済審査報告における社会調査によって明らかにされています。自己責任論は多くの人に受け入れられやすいですが、貧困議論に限ってはその欠陥を指摘せねばなりません。

 自己責任論によって立つならば、私たちは自分たちの人生のありとあらゆる事象を自身のコントロールに置くことができるはずです。しかし世の中の大部分が自分の意思とは反してしまうことは多くの人が知るところです。

 貧困へと至る経路は多くのものがありますが、それらの大半は当事者がコントロールできないようなもので満ち溢れています。親の虐待による社会や周囲への不信、配偶者のDVによって着の身着のままで逃げてきたシングルマザー、会社の倒産による経済的苦境、病による社会からの離脱など、貧困へと至る経路にはたくさんのものがあります。これらはいずれも不運や偶然によっての影響を受けるものであり、当事者による努力のみによっては防ぎえないものです。

 

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 それでももしかしたら、「DVをしてくるような配偶者を選んだその女性が悪い」という主張がなされるかも知れません。ですがここで考えていただきたいのは、個人の失敗を決して許さず、その人に責任を押し付ける社会はどのようなものかということです。

 そのような社会の下の人々はきっと、失敗をしないための選択と「正しい」とされる選択肢を勝ち取るための競争を余儀なくされるでしょう。そして正しい選択肢を選んだり、競争に勝つための手段は人々に平等に与えられているわけではないのです。「正しい」配偶者を紹介してくれるような身近な人がいるとは限らない、ということです。そうであるならば、人々はただでさえ不平等に配分された手段を求めて、さらなる競争に巻き込まれていくことになるのです。

 自己責任論によって支配された社会では人々は、正しさについての不断の競争に晒されるし、正しさを得るための手段を得るための競争にも巻き込まれるということになる。決して負けられない競争に満ち溢れた世界、皆さんはどのように感じられるでしょうか。

 

 

子どもの貧困はなぜ注目されたのか?

 

 ここまで自己責任論の問題点について整理してきました。ただし現代はその人が何を成し遂げたかによって評価がなされる業績主義の社会であり、貧困と自己責任論とを完全に切り離すことは難しいと考えられます。

 このような社会にあって唯一、自己責任論を適用することができない貧困があります。子どもの貧困です。シングルマザーの貧困には自己責任論を用いることができるかもしれませんが、子どもの貧困では貧困の当事者である子ども自身の責任は全くありません。自己責任論との間にある無関係性が、子どもの貧困への関心を高めさせた要因として指摘できます。

 子どもの貧困への注目が集まったさらなる理由として、子どものうちからの社会保障が重要であるとの調査報告が考えられます。日本財団は、子どもの貧困を是正することで将来的な国民の収入が2.9兆円増え、税収が増えたり社会保障費が減ったりすることによって国家の支出が1.1兆円減るとの試算を明らかにしました(日本財団, 2015)。つまりこの試算によれば子どもの貧困を放置することは、国家として4兆円を失うことにつながるとされているのです。なお日本財団による試算は15歳に限定したものですので、年齢を限らない場合、この損失は何倍にも膨れ上がることになります。

 社会保障という観点からみたとき、子どもは費用対効果が高い存在として捉えることができます。日本の財政事情が逼迫する中にあっても、子どもの貧困に予算を割くことが重要であるとの調査結果が蓄積したことが、子どもの貧困への注目が高まったことの2つ目の理由として考えられるでしょう。

 

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 ここまで見てきたように、子どもの貧困は当事者に責任を問うことができないという性質とその費用対効果の高さの2つによって注目を集めてきたと言うことができます。

 次回のコラムでは、子どもの貧困への対応策に注目してみたいと思います。

 

 

 

参考文献

阿部彩, 2008,『子どもの貧困—日本の不公平を考える』岩波新書

 https://goo.gl/z92VZY

武川正吾, 2017,「いまなぜ、子どもの貧困か」『世界』2017年2月号, 岩波書店

 https://goo.gl/VMsk5e

日本財団, 2015,『子どもの貧困の社会的損失推計』(.pdf)

 https://goo.gl/qQwG3v

Heckman, James, J. 2006, “Skill Formation and the Economics of Investing in Disadvantaged Children” SCIENCE, Vol 312 (.pdf)

 https://goo.gl/7Eeofq

OECD, 2009, “Growing Unequal? Income Distribution and Poverty in OECD Countries”

 https://goo.gl/rHV7Ws

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