お化けやしきは「学び」になり得るか?―プロジェクト活動の評価を考える―<後編>

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学力観が変わる=評価方法が変わる

前回、「デザイン(design)する力」を育みたいと書きましたが、子どもに自由に遊んでもらえば確実にそのような力が育めるなんて、そんな簡単な話ではありません。果たしてお化けやしきは「学び」になり得るか、これを真剣に問うことこそが大人の腕の見せ所です。

考える上で重要なことの一つとして、「評価」という問題があります。子どもの課題や学びを大人が発見し適切にフィードバックすることができる、この点が評価に関わるところであり、子どもの「デザインする力」を育む重要な役割だといえるでしょう。

ただ、従来の教科学習であれば答えの○×のみで評価できたものが、お化けやしきのような活動となるとどうも話は変わってしまいます。それに関して言うと、例えばアメリカでは「真性の評価」という流れに見られるように、今は評価方法も根本から見直さないといけない時期にあるといえるのではないでしょうか。(詳しく知りたい方は、『パフォーマンス評価入門ー「真正の評価」論からの提案』(ダイアン・ハート.著 田中耕治.監訳.2012 )などをご覧ください。)

 

シンプルであり且つ重要な問い

真正の評価では様々なことが言われますが、大事なことはシンプルに次の2つの問いにまとめられています。つまり、

「子どもたちに何を学んでほしいのか?」

「それらの目標を達成したかどうかということは、何を見ればわかるのか?」。

これらを問う限り、評価基準や評価方法は完全に確定させることはできず、常に更新し続けることが必要となってきます。

 

大人の「見る目」を養う

そのように評価体制を築いていくうえで、 Crècheでは次のようなことを大事にしていきたいと考えています。

一つは、大人の「見る目」を養う、ということです。

今回のようなプロジェクト活動の場合、どんなに明確な評価基準が作られても、子どもの一つひとつの活動にどんな「良いところ」や「変化」があるのかを大人が敏感に感じ取ることができなければ評価は成り立ちません。「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」とも言われるように、評価はどこまでも大人の見る目・見識を前提としています。

逆に、確定させた評価基準をもとにして機械的に○×評価をするだけになってしまえば、それはこれまでの評価と何ら変わりはないですよね。評価基準は従うものではなく、あくまで子どもの活動を見る上でのツールであるべきだと思っています。

基準を構築しつつも、見る目をどのように養っていくか、これについては今後の私たちの課題でもあります。

 

「子どものための評価」を目指す

もう一つは、あくまでも評価を「子どものための評価」にするということです。というのも、あくまで学びの主役は子ども自身だからであり、「私がんばったんだな」「僕のことをちゃんと認めてくれている」と感じられることができることが大切だと思っているからです。どんなに大人が納得のいく評価をしても、「あなたはこうですよ」と不自然に押し付けられてしまうのであればなんとも迷惑な話ですよね。評価は現場にいる大人だけの独断的かつ権力的なものであってはならないのではないでしょうか。

例えば今回のお化けやしきでは、子どもの活動を色んな人に評価してもらう、ということを意識して実施していました。子どもたちは、お化けやしきに来てくださった大人の方から自分たちの成果に関する多くのコメントをもらい、それを受けて自身の活動を振り返り、また次につなげていきます。実際、コメントを受け取った子どもたちはそれをもとに脅かし方を修正するなどして、めまぐるしく変化していく様子が見られました(最後は本当に怖かった…)。

まだまだ試験的なところはありますが、ここからさらに仮説検証を進め、より「子どものための評価」に近づけるようにして行きたいと思っています。

 

以上、お化けやしきの裏側についてつらつらと書き並べてきましたが、いかがでしたでしょうか。

子どもに本当に意味のあるプログラムを届けようと思うと、評価一つとっても考えるべきことは尽きないなーと思うわけです。

 

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